本の紹介

《本の紹介》『「母」たちの戦争と平和―戦争を知らないわたしとあなたに』源 淳子(三一書房

 1945年8月6日、午前8時15分、母は広島市内にいた。同じ日の午前8時30分、父は市内を巡回していたと聞く。1948年生まれのぼくは、だから、いわば血統書つきの被爆二世だ。
 二十歳のとき、原爆資料館を訪れる機会を得た。数々の写真や被爆した人たちの人形などの展示物に目を見張り、驚き、ショックを受けて帰阪した。その悲惨な体験を父と共有しようと、「すごかったんやねえ」と父に告げたとき、ぼくの心積もりでは「すごいやろー」と返してくれるはずだった父の口から出たことばは、期待に反して「なにがすごいねん、あんなもん」というつれないものだった。父は続ける。「あれが等身大で、集団でおるんやで。しかも動いてるねんで」「川に逃げ込んで、川の中から『兵隊さん、水おくれ』て呼ぶんやで」。
 二十歳の若造は、声もなかった。資料館を見物しただけで、実体験した人とその体験を共有しようとすること、それをできると思っていたことの浅はかさを強烈に教えられた瞬間だった。
 ぼくは「資料館なんて見てもしようがない」というのではない。見ないよりは見るほうがいい、聴かないよりは聴く方がいいに決まっている。ただ、それだけのことで当事者(被害者や被差別者)と体験を共有したような気になることは、とても犯罪的なことではないかと思うのだ。大切なことは、安易に「その気になる」ことではなく、見、聴き、学び、考えることを繰り返しながら、限りなく当事者に近づこうとし続けることではないだろうか。
 そんな地道な作業を繰り返して著されたのが『「母」たちの戦争と平和―戦争を知らないわたしとあなたに』である。著者である源さんは、ぼくの親しい友人でもある。
 本書は1920年代生まれで80歳代の源さんの友人3人(赤松まさえさん、荒木タミ子さん、川土居久子さん)と、同じく同年代であるお母さん(三澤法子さん)、計4人の女性の戦前、戦中、戦後を、2年の歳月をかけて丁寧に聴き取った事実をもとに構成されている。
 読んでみて驚かされるのは、肉親が亡くなったこと、恋人を奪われたこと、疎開先での苦労など、ここではとても紹介しきれない数々のできごと、「戦争」という「異常」を、けっして大上段から太刀を振り下ろすような表現ではなく、4人の語り口を通してじつに淡々と、だが正確に伝えていることだ。「戦争」という「異常」を「日常」として受け入れなければならないとはどういうことなのか。それがひしひしと伝わってくる。
 第四章「分岐点」はまさに最終章にふさわしい。
 教師として子どもと向き合い、知的障がいのある子どもたちと関わる中で社会を見据えてきた赤松さん。「『この子らに世の光を』から『この子らを世の光に』」ということばは印象深い。敗戦後、「だまされた」と気付いた荒木さんが、やがて「わたしらも間違っていたのではないか」と、自らの戦争責任を問うまでに至った思想の深化もすごい。川土居さんの場合は貝塚市で小学校の教師になったときに出会った部落問題とのかかわりが分岐点の一つになっている。
 最近「侵略国家というのは濡れ衣」などという文書や発言がおおっぴらになされるということがあった。ぼくにはこれが意図的であるように思えてならない。そんな時代だからこそ、本書の輝きは一層増すだろう。ぜひ手にとって読んでいただきたい一冊である。
 最後に、本書の帯に記されている荒木さんの一文を紹介しよう。
 「女が だまってきたから いま ふきだした 男女問題は はてしなく根深い あの戦争さえ おこってなかったかもしれない 女は だまっていては いけないのだ」。(ukkie)